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御祭神

DSC03178_b 素箋鳴尊(スサノオノミコト)又の御名 牛頭天皇(ゴズテンノウ)

八雲立つ  出雲八重垣  妻籠みに  八重垣作る  その八重垣を (ヤクモタツ  イズモヤエガキ  ツマゴミニ  ヤエガキツクル  ソノヤエガキヲ)

(わが国の和歌のはじめと伝承される、素箋鳴尊が詠まれた歌)

●意味

雲が幾重にも湧く出雲の地で、妻との新居によい場所を見つけた。妻のために垣根を幾重にも造ろう。

御事歴

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八坂神社

大神は天照大神の弟神にして、気性の激しい荒々しい神で高天原より出雲国に追放になり艱難辛苦の末、遂に清浄な心境に到達され後に出雲国の簸(ヒ)ノ川上で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)又の名を草薙の剣(クサナギノツルギ)を天照大神に献上し、櫛稲田姫(クシナダヒメ)を娶りて多くの善根を積み重ね、疫病除け・治水・農耕の守神として崇められた。又大神は新羅国(朝鮮)牛頭山に降臨し植樹につとめられたことから「牛頭天皇」と呼ばれ山林の神、産業開発の守神としても崇敬されている。

御由緒

八坂神社の御社殿は、古来香取神社の境内に御末社として祭祀し、創立年代は不詳であるがおおよそ江戸時代初めの頃と推察される。京都府東山区祇園町八坂神社の御祭神「素箋鳴尊」を御分霊し、大沢町の守護神として勧請造立され五穀豊穣・産業の神、天王様と敬仰され現在に至っている。

神社の沿革


毎年7月の祭礼には天王様の祭りと親しまれ、各町内は提灯を飾り神輿を担ぎ町は賑い盛大に行われてきたが、長い年月社殿は風雨に晒され損傷もひどく、いつの頃からか御神霊は香取神社の御本殿に合祀されて御祭礼も時代の推移により中断し、毎年の例祭日は香取神社の御社殿にて厳粛に祭儀のみ斎行され、町は神輿を担ぐこともなく各町内ごとに祝うのみにて影の祭の時期が長く続いてきました。昭和51年各町役員の合議によりこの年の7月の例祭日に神輿は香取神社境内に参集し、お祓いを受け一斉に町に繰り出して祭礼は再興され、近年年と共に益々盛大に執り行われるようになりました。その後、昭和63年八坂神社の御社殿を新たに再建し大神の御神霊をご本殿よりお迎えして大沢地区の守護神として御祭祀申し上げ現在に至っております。

御祭日

7月15日(現在はその近くの土、日曜日に) ※令和5年は7月15日(土)、16日(日)に開催いたしました。